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苦しみと哀しみ、怒りを共有しよう

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苦しみと哀しみ、怒りを共有しよう

 
(091215未明入力)
「在日」の痛苦
 ユーモアあふれさせ

 地上生活者 第1部 第2部
 講談社・各250円

 一九九九年七月、札幌の友人を病床に見舞った趙愚哲(チョウ・ウチョル)は、アイヌの苦しみと哀しみ、怒りを共有しようとして倒れた友に、すべてを告白する気になる。(略)皇国少年として敗戦を迎えたサハリン時代から、札幌で過ごした高校時代までの告白を紡いだこの作品は、李恢成の自伝小説といってよい。
 主人公は趙愚哲と高松愚哲(たかまつぐてつ)と「ぼく」。高松愚哲は未成年期の趙愚哲であり、「ぼく」は六十四歳の「売れない小説家」。もともと同一人物である(略)
 歴史となった過去の冷静な観察者である「ぼく」の先導で、朝鮮人と名乗ることができなくなった時代から、体に染みついているものによって萎縮(いしゅく)させられている高松愚哲の懊悩(おうのう)がすくいとられていく。国際政治によって強いられた「在日」という立場の痛苦さ加減を、李恢成はユーモアあふれる独自の語り口によって引き受けているのだ。
(略)語られているのは、時代にたいする批判精神だ。朝鮮戦争の最中、憲法九条を「人類史上のどえらい快挙」と考え、世界がこの憲法を真似(まね)るなら、戦争をこの地上からなくすことができるという高松愚哲の思いは今につながっている。
 人間が愚かさを犯しながらも、悟性を求めて前へ進む存在だとするならば、「歴史とはつねに危険なものに晒(さら)されながらも光芒(こうぼう)がさしこむ場所である」という視点は、つねに時代と向き合い、人間の真実を求めつづけてきた李恢成ならではのもので共感を覚える。

(松木新・文芸評論家)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関誌「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2005.07.10.)


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